「わかった?」と聞いて「わかった」と返ってきたら、そこで終わりでした。

授業のウラガワ ── 16

「わかった?」と聞いて
「わかった」と返ってきたら、そこで終わりでした。

ある保護者の方が、以前のことを振り返って長い文章を送ってくださいました。読んで、背筋が伸びました。私がこの数年ずっと言葉にしようとしていたことが、ご家庭の側から、もっと具体的に書かれていたからです。この記事は、その文章を軸に、なぜ判定の基準を作ったのかを書いたものです。

ご家庭から見えていた景色

まず、いただいた文章の一部をそのまま置きます。上のお子さんが、以前ほかの塾に通っていた頃を振り返った部分です。全文はこちらに掲載しています。

保護者の方からいただいた文章より

個別だからその子に合わせてくれると思って通っていたのですが、先生が説明して解けたら理解した、質問がなければ理解したと思って次に進む、あとは黙々と問題を解く。そういう流れだったのではないかと思います。

教えてもらってその場では解けても、家で復習しないので忘れてしまう。本人はほとんどメモも取っていなかったので、思い出せない。それでも宿題は授業と同じ問題だったので、解いた問題集を見れば答えは分かる、という状態だったのではないでしょうか。

ここに書かれているのは、特別に悪い塾の話ではないと思っています。むしろ、教える現場でごく普通に起きていることです。私自身、数年前は同じことをしていました。説明して、解けて、質問が出なければ、伝わったものとして次に進む。

この短い文章の中に、断絶が4つ入っています。1つずつ見ていきます。

4つの断絶
■ 授業から定着までの間に、どこで切れているか
1
解けた = 理解した、として扱われる
説明を聞いた直後に解けるのは、当たり前です。手順がまだ目の前に残っているからです。ここで測れるのは「今この瞬間の再現」であって、定着ではありません。 ご家庭からは:その場では解けているので、順調に見えます。
2
質問がない = 分かっている、として扱われる
質問が出ないのは、分かっているからとは限りません。どこが分かっていないかが分からないと、質問は作れないからです。分からなさが漠然としているほど、沈黙になります。 ご家庭からは:何も言ってこないので、困っていないように見えます。
3
授業が終わると、内容が残らない
メモを取っていなければ、手元に残るのは解いた問題だけです。何を言われて、どこで詰まって、どう抜けたのか。その過程は、その場で消えます。これは本人の努力不足というより、記録が無いという構造の問題です。 ご家庭からは:何を習ったのか聞いても、要領を得ません。
4
宿題が、授業と同じ問題である
同じ問題なら、解いた跡を見れば答えが分かります。手は動く。丸もつく。宿題は終わる。でもそれは、思い出したのではなく、写しているのかもしれない。 ご家庭からは:宿題が終わっているので、やったことになります。

4つ並べて分かるのは、どの段階でも、外からは「うまくいっている」ように見えるということです。解けている。質問もない。宿題も終わっている。悪い兆候が一つも出ません。

そして本人にも見えていません。「理解した?」と聞かれれば「わかった」と答えます。嘘をついているのではなく、分かったつもりと分かったの区別は、本人が一番つきにくいからです。

いちばん厄介なのは4番目でした
できていないのに、完了に見える

4つの中で、私が一番こわいと思ったのは最後です。他の3つは「進んでいないだけ」ですが、これは進んだという記録が残ってしまうからです。

記録の上では
実際に起きていること
宿題:完了
指定された範囲を最後まで解いている。
解いた跡を見ながら書いた可能性がある。手順を思い出したかどうかは、そこに残らない。
正答率:良好
答え合わせをすると、ほとんど合っている。
同じ問題なので、合って当然。初見の問題で同じ結果が出るかは分からない。
本人の申告:わかった
聞けば「わかった」と答える。
本人にも区別がついていない。嘘ではなく、判断材料を持っていない。
できていないことが、記録の上では完了として積み上がっていく。

この状態が続くと、あとでまとめて崩れます。テスト範囲が広がったとき、一度に穴が出る。そのとき初めて「分かっていなかった」と分かるのですが、どこから分かっていなかったのかは、もう遡れません。完了の記録しか残っていないからです。

実際、別のご家庭から、こういう要望をいただいたことがあります。学習の進捗をカンバンボード(やることを付箋で並べ、終わったら移動させる方式)で管理し始めた方です。

本人が「完了」にした付箋を、
本当に完了なのか確かめてほしい。

言葉は違いますが、指しているものは同じです。完了の申告を、誰も検算していない。

ご家庭の側からは、何が見えないのか
「本人がやらないのだから仕方ない」に着地してしまう

いただいた文章には、当時の心境も書かれていました。ここが、私には一番こたえた部分です。

保護者の方からいただいた文章より

もっと宿題を出してほしいなとか、ノートを取っていなくて、なぜこうなるのかが分かるのかな、とは思っていました。ただ本人に反抗期もあり、言われてもやらないところがあったので、本人が勉強しないのだから仕方ない、と思っていました。

塾の先生とお話しすることもあまりなく、どんな様子なのか、どんな勉強のやり方なのかも把握していませんでした。

気づいていなかったわけではありません。「なぜこうなるのかが分かるのかな」と、ちゃんと引っかかっている。ですが、確かめる手段がない。中で何が起きているかが見えないので、疑いを検証できません。

検証できない疑いは、いずれ本人の性格の話に着地します。反抗期だから。言ってもやらないから。仕組みの問題が、その子の問題にすり替わる。これは、ご家庭が悪いのではありません。判断材料が渡されていなければ、そう結論づけるしかない。

ご家庭に届いていたもの
  • 今日やった単元名
  • 宿題の範囲
  • 解いた問題と、その丸つけ
  • 「頑張っています」という所感
届いていなかったもの
  • どの項目で詰まったのか
  • そのとき本人が何と答えたのか
  • どこまで自力で、どこから手を借りたのか
  • 前回できなかったことが、今回できたのか

右側が無いと、ご家庭にできることは「解説を読みなさい」「教科書を読みなさい」しかなくなります。いただいた文章にも、そのまま書かれていました。「効率が悪いんですけどね」と添えられていて、これは本当にその通りだと思いました。どこが抜けているか分からないまま全体を読み直すのは、いちばん時間がかかるやり方です。

だから、こうしています
理解度を測るのをやめました

4つの断絶をどうにかしようとして、最初に決めたのがこれです。理解度を測るのをやめる。

理解度は外から見えません。「分かった?」と聞いた時点で、答えは「わかった」になります。ですので測る対象を変えました。測っているのは、その項目にたどり着くまでに、講師がどれだけ手を貸したかです。

何も足さずに自分の言葉で説明し切ったのか。促しただけで届いたのか。どこを見るかを渡したのか。それとも答えまで説明してしまったのか。講師が何を言ったかは、記録に残る事実です。ここだけを見れば、誰が判定しても同じ結果になります。段階の全定義は判定基準を全部公開した記事に書いています。

4つの断絶に、それぞれ何を当てているか
  • ① 解けた=理解した → その場で解けたかではなく、手を貸したかで記録する。説明直後に解けても、自力とは呼びません。
  • ② 質問がない=分かっている → こちらから項目ごとに問いかけて、答えさせる。沈黙を「問題なし」として通しません。
  • ③ 授業が残らない → その日のやり取りを、本人が読み返せる読み物として残す。この冊子の話は前回書きました
  • ④ 完了に見える → 日を空けて、次の授業の冒頭で口頭で確認する。一度扱った内容も、時間を空けて再現できるまで完了にしません。

④が、カンバンの要望への回答でもあります。完了と申告された項目を、次の授業の頭で口頭で聞く。自力で言えたら完了として消す。言えなければ、やることリストの先頭に戻す。判定の基準は、通常の授業とまったく同じものを使います。

この確認の仕組みは、まだ実運用で試している最中です。資料の準備は済んでいますが、回数を重ねたわけではありません。動かして分かることが必ず出ますので、結果は改めて書きます。うまくいかなかった場合も、そのように書きます。
先週、こういうことがありました

同じ保護者の方から、その後こう伺いました。下のお子さん、中学2年生の話です。

保護者の方からいただいた文章より

今日、授業を覚えていて今週の復習を解いたけど分かったよ、聞いてて、と言ってきた下の子が自信を持っていて。こんなふうに思い出せると勉強もスムーズですし、嫌々の作業になりにくいと思うので、聞いていて私も嬉しかったです。

「聞いてて」と言っている。ここが大事だと思いました。説明したくなっている状態です。思い出せるから、口に出したくなる。分からないまま宿題を埋めているときには、こうはなりません。

ひとつ前の記事で書いた冊子を渡した週の出来事です。因果関係を証明することはできませんし、毎回こうなるとも思っていません。ただ、思い出せることと、やる気は、たぶん別々のものではないとは思いました。嫌々の作業になるのは、多くの場合、手がかりが何も残っていないからです。

見えるようにすることは、褒めることとは違う

最後に、一つだけ書いておきたいことがあります。

ここまで書いてきた仕組みは、お子さんを褒めるためのものではありません。むしろ、判定は辛く出ます。説明の直後に解けても自力とは呼ばないので、新しい単元に入った回は、自力で説明できた項目がゼロということも普通にあります。

それでも見えるようにするのは、見えないままだと、最後は本人の性格の話になってしまうからです。反抗期だから。やる気がないから。そう結論づけた瞬間に、打つ手はなくなります。

どこで詰まったのかが項目単位で分かっていれば、打つ手は残ります。前の単元に戻るのか、同じ問題をもう一度やるのか、具体例を変えるのか。性格ではなく工程の話にできるかどうか。私がやろうとしているのは、そこだけです。

いただいた文章の最後に、こう書かれていました。ほとんどの塾は、どうしたら理解してくれるか、教え方ややり方を変えてみる、ということまではしないと思う、と。ありがたい言葉ですが、私はこう受け取りました。やり方を変えるためには、変える理由が要る。その理由をどこから拾うのかという話が、結局のところ、この記事の全部です。

「わかった?」の代わりに、記録をご覧いただいています

お子さんが今どこまで自力で説明できて、どこから手が必要なのか。まずは無料相談で、現状を一緒に確認するところから始めませんか。

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