90分のあいだ、
私は何を見ているか。
「オンラインで、実際どんなことをするんですか」——よく聞かれます。ここでは、私の授業でいつも起きていることを、順番にお見せします。派手なことは何もしていません。ただ、見ている場所が少し違うかもしれません。
授業中、板書を書き写すことに気を取られて、肝心の「考える」が止まってしまう子がいます。手を動かしているので勉強しているように見えますが、頭は動いていません。これは、とてももったいない時間です。
なので私の授業では、記録は私の側で引き受けます。授業はすべて音声で記録され、その日に扱った内容は、後から見返せる形にしてお渡しします。生徒には、その場では考えることだけに集中してもらう。ノートが取れなかった日があっても、学んだことは消えません。
分からない問題を前にした子に、こちらが丁寧に解説してしまうのは簡単です。その場は分かった気になりますし、生徒も納得した顔をします。ただ、それを繰り返しても、テストで一人になったときに解けるようにはなりません。
だから私は、答えを言わずにヒントだけを出します。問いを重ねて、本人が自分の力でゴールまで辿り着けるところまで運ぶ。時間はかかります。でも、自分で辿り着いた道は、次も自分で歩けます。
オンライン指導というと「手元が見えないから分からないのでは」と心配されることがあります。実際には、私が一番よく見ているのは手元ではありません。
- 表情——本当に分かっているのか、分かったことにしたのか。顔には出ます。
- 答えるまでの時間——即答なのか、数秒詰まったのか。理解の深さは速度に出ます。
- 答えの精度——合っていても、根拠が薄い答え方をしていないか。
- 詰まった位置——どの一歩で止まったか。そこが、崩れている場所の入口です。
正解か不正解かだけを見ていては、原因までは分かりません。答えに至る過程を対話で読むから、今日の単元ではなく、もっと手前で崩れていることに気づけます。私が本当に探しているのは、その手前です。
数学であれば、ノートアプリの画面を共有しながら進めます。私が書くだけでなく、同じ画面に生徒も書き込めます。同じ紙を挟んで隣に座っているのと、あまり変わりません。
そして、生徒が答えてくれた内容を、私はよく図に描き直します。言葉で丁寧に説明を足すより、目で見て「あ、ここか」と自分で気づくほうが、はるかに強く残るからです。説明を増やすのではなく、自覚しやすい形に変える。そこに手間をかけています。
問題が解けたら終わり、にはしません。どの教科でも、どの単元でも、私が最後に必ず聞くことがあります。
やってみて。」
ここで詰まる子は、まだ本当には分かっていません。解けたけれど、なぞっただけだった、ということが分かります。逆に、自分の言葉で説明しきれた子は、その単元をもう手放しても大丈夫です。
説明できる状態こそが、一人で解ける状態です。私が毎回この問いで締めるのは、そこまで届いたかどうかを、その場で確かめておきたいからです。
