前はできていたのに、
また同じところで
間違える。
一度は解けたはずの問題を、しばらく経つとまた落としている。同じ説明を、何度もすることになる。このとき問題なのは、忘れたこと自体ではなく、そこがどう頭に入ったかのほうかもしれません。
- その場では解けている。授業中に聞いても、きちんと答えられる
- ところが、しばらく経つと同じところをまた落とす
- 同じ単元を、何度も説明し直している
- 本人も「あれ、前にやったのに」と言う
- サボっているわけではない。むしろ真面目に取り組んでいる
一度もできたことがない、という単元については、この記事の対象ではありません。それは忘れたのではなく、まだ入っていない状態なので、手当ての順番が変わります。
ご相談の中で、意外と多いのがこの形です。成績が急に落ちたわけでもなく、勉強していないわけでもない。ただ、同じところを何度も間違える。
保護者の方からすると、いちばん納得しにくい状態だと思います。前はできていたのだから、能力の問題ではない。やっていないわけでもない。だとすると、ちゃんと復習していないのだろう、という結論になりがちです。
ここは、はっきり書いておきます。忘れること自体は、まったく正常です。人は覚えたことを忘れます。それは中学生でも大人でも同じで、真面目さとは関係ありません。
問題は別のところにあります。同じように学んだはずなのに、残るものと、きれいに消えるものがある。しかも、消えたほうが本人にも分かっていない。ここが、この記事で書きたいところです。
どこが抜けているかを知りたいとき、いちばん手近で、いちばん信用できる材料は、返ってきた答案です。模試でも、直近の定期テストでも構いません。まとまった量を、同じ条件で解いた記録は、家庭学習の様子を眺めているだけでは絶対に得られません。
ですから、まず受けること、そして返ってきたものをきちんと見ること。ここは飛ばさないほうがいいと思っています。
ただ、そのうえで書いておきたいことがあります。答案で落とした場所が分かったからといって、そこを解き直せば直る、とは限りません。
同じ手当てをして、次で取れるようになる子と、また同じところを落とす子に分かれます。この差はどこから来るのか。そこを長く見てきた結果、たどり着いたのが次の話です。
そして、いちばん消えやすいのは、こちらが丁寧に説明したもののほうかもしれません。
順番が逆に聞こえると思います。丁寧に説明したほうが残りそうなものです。ですが、私自身の指導を振り返ると、そうなっていませんでした。
以前の私は、とにかく分かりやすく説明することに全力を注いでいました。
先回りして、ここでつまずくだろうと見当をつけておく。教科書の文章を、そのままでは硬いので、身近なものに例え直す。具体例をいくつも用意する。解き方は、最初から順番に並べて、迷わずたどれる一本の道にしておく。
そして、ただ話すだけでは受け身になると分かっていたので、質問もしました。要所要所で「ここはどうなると思う?」と聞き、生徒が答える。答えが逸れたら、戻ってこられるように次の質問を出す。
やり取りは活発でした。生徒はよく答えていましたし、授業の最後には「分かりました」と言ってくれる。手応えもありました。
それでも、成績が上がらない子がいました。そして数週間後、同じところをまた落とす。
長いあいだ、理由が分かりませんでした。説明が足りなかったのだろうと思って、次はもっと丁寧にしました。例えをもっと増やし、道をもっと細かく刻みました。結果は変わりませんでした。
今になって分かるのは、あのとき私がしていたのは、質問の形をした説明だったということです。
私の頭の中には、たどり着かせたい答えが最初からありました。そこへ向かう道も引いてありました。質問は、その道から生徒が外れないようにするために置いていたものです。生徒は考えていたというより、用意された道の上を、案内されるまま歩いていたことになります。
左の形でも、その場は成立します。むしろスムーズです。生徒は詰まらないし、時間内にきれいに終わる。本人もすっきりして帰ります。
ただ、失敗していません。迷ってもいません。どちらに進むか自分で決めた瞬間が、一度もない。すっきりしているぶん、判断した記憶が残らないのです。
覚えたことを思い出すというのは、頭の中でその場所まで行くことです。だとすると、そこへ行く道が何本あるかで、たどり着ける確率が変わります。
一本道で入れたものは、入口が一つしかありません。その日の説明の順番とセットでしか取り出せない。テストの日には、あの日と同じ順番で誰かが質問してくれるわけではないので、入口が見つからない。
反対に、自分で詰まって、そこから前に戻って、いくつかの単元を行き来しながら入れたものは、道が何本もついています。解けなかった問題からも、その手前の単元からも、自分が間違えた記憶からもたどれる。どれか一本が思い出せなくても、別の道から着けます。
こと
こと
そして、ここがいちばん厄介なところです。案内されて入れたものは、本人の中では「できたこと」として残ります。あの日、確かに答えられたからです。だから本人にも、そこが危ないという自覚がありません。
答案が返ってきて、そこを落としていても、解説を読めばまた「あ、そうだった」となる。分かっているつもりのまま、次の週も同じ場所に戻ってくる。
できなかったことより、できたつもりになっていることのほうが見つけにくい。同じところを何度も間違えるという症状は、たいていここから来ています。
今は、順番を変えました。こちらが先回りして道を引くのをやめて、まず本人に、どこで詰まったかを自分で探してもらいます。
当然、正確ではありません。地図を持っていないので、拾えていないところもあるし、関係ないところを拾ってくることもあります。それでいい、と思っています。ここでほしいのは正確な診断ではなく、本人が自分で選んだ一点だからです。
そこから、遡っていきます。持ってきたところを直接教えるのではなく、「それが分かるには、その前にこれが要るけど、そこはどう?」と聞いていく。すると、できていないところがはっきりします。それと同時に、本人が気づいていなかった穴も出てきます。
このとき出てくる穴は、こちらが指摘したものではありません。本人の質問の続きとして出てくるので、受け取り方がまったく違います。そして、前の単元と行き来しながら進むので、つながったまま理解できる。道が何本もつくのは、このためです。
とはいえ、自分で探せる子ばかりではありません。むしろ、この症状が出ているお子さんほど、自分がどこまで分かっていて、どこから分かっていないのかの線引きができていないことが多いです。
ここで抜き打ちのテストを出して、できていない現実を突きつけるという方法もあります。ただ、それで素直に「ここができていないんだな」と受け取れる子は、たぶん最初からこの症状で困っていません。
ですから、そういうときは答案を使います。模試でも、直近の定期テストでも構いません。
何を聞けばいいかを教えてくれるものです。
×がついたところは、全部聞きます。なぜここが書けなかったのか。何を思い出そうとして、どこで止まったのか。
そして、○がついたところも聞きます。ここは書けているけれど、何を根拠にそう決めたのか。合っているから飛ばす、ということはしません。直前にたまたまやっていて当たっただけ、ということが普通にあるからです。
全部聞いていくと、つながりが見えてきます。ここは全く手が出ていない、ここはヒントがあれば届いた、ここは分かっていたのに落とした。その程度の見当をつけます。統計を取っているわけではなく、あくまでその場の見立てです。
見立てを立てたら、それを確かめる質問を何通りか用意して、当てにいきます。全部答えられれば、見立ては合っていた。答えられなければ、もっと前の階層に原因があるということなので、見当をつけ直して、また繰り返します。
自分で探せない子には、この形で、答案が探す代わりになります。
ここまで読むと、丁寧に教えるのがよくないように聞こえるかもしれません。そうではありません。
時間には限りがあります。入試までの週数が決まっている以上、全部を自分で辿らせるわけにはいきません。こちらから渡したほうが早い場面はありますし、実際に渡しています。
違うのは、渡す順番です。
詰まる前に道を渡すと、その道が要る理由が本人の中にないので、分かりやすい説明として通過するだけになります。一度詰まってから同じ説明を渡すと、それは自分が欲しかった答えになります。同じ内容でも、詰まった後か前かで、残り方が変わります。
だから、時間が許すのであれば、一度考える時間を取る。詰まってから渡す。それだけの違いです。
入り方を変えても、忘れます。道が何本もあるぶん残りやすいというだけで、時間が経てば薄くなるのは同じです。
ですから、確かめる工程を後から思い出すのではなく、最初から予定に入れておきます。
やっているのは単純なことです。授業で扱った項目のうち、こちらの確認を通らなかったものは持ち越しリストに残ります。それが週ごとにまとまって出るので、いつでも見返せる。しかも、通ったものは載っていないので、見る対象が絞られています。
そのうえで、同じ項目に何度か戻ります。間隔は一定ではなく、少しずつ延ばしていく形にしています。
大事なのは、戻ってきたこと自体が悪い知らせではない、ということです。戻ってきたおかげで、テストの前に見つかっています。
ここは正直に書いておきます。いちばん長い間隔での確認は、まだ検証が終わっていません。その時期に到達した生徒が、まだいないためです。ですから、この間隔が最適だと申し上げるつもりはありません。実際に確かめて、違っていれば直します。
もうひとつやっているのは、授業のあとに、その日のやり取りを思い出せる形のノートを渡すことです。答えを並べたものではなく、思い出すためのきっかけを置いたものにしています。読み返すのではなく、思い出す形で戻ってもらうためです。読み返すだけだと、また「あ、そうだった」で終わってしまいます。
いま説明できるかどうかは、ノートを見なくても確かめられます。ただし、今日やったところではなく、少し前にやって、そのときはできていた単元から選ぶのがポイントです。
答えを聞くのではなく、理由を聞きます。答えだけなら、覚えているかどうかしか分かりません。
すらすら出てくるなら、そこは残っています。出てこないなら、そのときは通っていたけれど、入口が一つしかなかった可能性があります。責める場面ではありません。できたつもりのまま置かれていた場所が、一つ見つかったということです。
正確に判定しようとすると、いろいろな角度から何度も聞いて、そのたびに結果を残し、追い続けることになります。ご家庭で再現するのがいちばん難しいのは、ここです。ですから、毎日やろうとしないでください。週に一度、ひとつの単元で構いません。
それでも、この確認をときどき挟むだけで、見えるものはかなり変わります。できていないことより、できたつもりになっていることのほうが多いと気づけるからです。
前はできていたのに、また同じところで間違える。この状態を見たときに、確認したいのは次の3つです。
3つ目は、お子さんではなく、教える側に向けた確認です。私自身、長いあいだここを見落としていました。分かりやすく説明できた日ほど、良い授業をした気になっていたからです。
忘れることは止められません。止められるのは、忘れたまま気づかずに置いておくことのほうです。
同じところを何度も間違えるとき、原因は忘れたことではなく、そこがどう入ったかにあることが少なくありません。まずは無料相談で、いまの状態を確認しませんか。指導をお受けするかどうかは、そのあとで決めていただいて構いません。
