解き方は、教えていません。
「どこを見るか」だけを渡しています。
同じ問題を前にして、手が動く子と、止まったままの子がいます。その差は、知っている解き方の数ではありませんでした。最初にどこを見るかが決まっているかどうか、それだけです。今回は、私が図形の問題で生徒にたったひとつだけ渡している判断の話と、それが本業の現場から来ているという話を書きます。
インプット
つくる変換術 3 / 3
伴走
自信
図形の面積を求める問題で、生徒の手が止まることがあります。声をかけて「今、何を考えてる?」と聞くと、返ってくる答えはだいたい似ています。
知識がないわけではありません。三角形の面積の公式は言えます。等積変形も習っています。それでも止まる。持っているのに、取り出せないという状態です。
このとき、解き方をもう一度説明しても、あまり意味がありません。棚に物がないのではなく、棚のどこに何があるか分からないだけだからです。必要なのは、もう1個の解法ではなく、最初にどこを見るかという一行のほうでした。
解ける子と止まる子は、同じ図を見ています。ですが、目の動きがまったく違います。止まる子は、図の全体を何度もぐるぐる眺めます。どこも同じ濃さで見ているので、どこから手をつけるかが決まりません。
どこも同じくらい気になっている。情報が多すぎて、優先順位がつかない。
他は一旦置いて、決めた1点だけを確認する。そこで進む道が決まる。
右の状態を作るのに、才能もセンスも要りません。最初に見る場所を、こちらが決めて渡せばいいだけです。
中学数学の図形の面積で、私が生徒に渡している確認事項はひとつです。
これだけです。あるなら、そのまま底辺と高さで押していけます。ないなら、外側の四角形から余計な部分を引くか、等積変形で形を変えるか、どちらかの道に入ります。
| まず見るところ | 結果 | 入る道 |
|---|---|---|
| 90°はあるか | ある | 底辺と高さで、そのまま求める |
| 90°はあるか | ない | 外側の四角形から、余分を引く / 等積変形で形を変える |
解法そのものは、すでに授業で扱っています。渡しているのは解き方ではなく、持っている解き方のどれを取り出すかを決める一行です。
解法を10個教えても、選べなければ0個と同じです。逆に、選ぶ基準がひとつあるだけで、持っている解法が全部つながって使えるようになります。増やすのではなく、並べ替える。ここが、この技法の要点だと思っています。
私の本業は診療放射線技師です。医療画像を扱う仕事をしています。
ここで正確に書いておくと、画像から病気を診断するのは医師の仕事で、技師の仕事ではありません。ただ、撮った画像をそのまま黙って渡しているわけでもありません。撮り直しが必要ではないか、写すべきものがきちんと写っているか、明らかにおかしなところがないか。渡す前に、技師も画像を見ます。
そのとき、経験の浅いうちは画像全体をなんとなく眺めてしまいます。先ほどの、手が止まる子と同じ状態です。全部が気になって、結果として何も引っかからない。
ある時点から、見方が変わります。感覚が鋭くなったのではありません。見る順番が決まったのです。
順番が決まっていると、迷う時間がなくなります。そして何より、見落としが減ります。全体をぼんやり眺めていた頃のほうが、実は見落としていました。
生徒に「90°があるか」だけを渡しているのは、これと同じことをしているだけです。教育理論から持ってきたのではなく、自分が現場で助けられた手順を、そのまま横に置いているという感覚に近いです。
この技法には、はっきりした前提があります。その解法を、一度は自分の手で通したことがある子にしか渡せません。
等積変形を一度も自力でやったことがない子に「90°がなければ等積変形」と渡しても、何も起きません。索引を引いた先の棚が空だからです。むしろ、分かった気になるぶん、あとで崩れます。
そして、この見極めができるのは、その子が過去にどこで詰まり、どの解法を自力で通せたかをこちらが記録として持っているからです。感覚で「たぶん大丈夫だろう」と渡すのが、一番危ないやり方だと思っています。
心理学では、こうした「どういうときに何を選ぶか」の知識をメタ認知的知識と呼ぶそうです。私はこの名前を、自分の授業を分析してもらったときに初めて知りました。順序としては、先に現場でやっていて、後から名前がついたほうです。
- 足すのではなく、削って並べ替える。柱①で「試験範囲の3割を捨てる」と書いたのと同じ発想です。情報を増やすほうへは行きません。
- 判断の負荷は、こちらが引き受ける。索引を渡していい段階かどうかを決めるのは講師の仕事で、生徒に自己判定させるものではありません。
- 渡す一行は、必ず1つに絞る。2つ以上あると、それ自体がまた「どっちを見ればいいのか」という迷いになります。
解けなかった問題が解けるようになったとき、新しい知識が増えていないことはよくあります。持っていたものが、取り出せるようになっただけです。それでも点数は動きます。できないの正体が、知らないではなく取り出せないだったというケースは、思っているよりずっと多いというのが、今のところの実感です。
これで、柱②「なるほどをつくる変換術」の3本が終わりました。次回からは柱③「迷子にさせない伴走」に入ります。1本目は、講師が生徒の前でわざと間違えて、そこから直していく様子を見せる技法についてです。
知らないのか、知っているのに取り出せないのか。同じ「分からない」でも、必要な手当てはまったく別物です。まずは無料相談で、今の状態を一緒に見てみませんか。
