「areでしょ」で、
なぜ終わらせないのか
先日の授業で、ある中学生がひとつのミスをしかけました。文法的には、直すのは一瞬です。でも私は、その一瞬で終わらせませんでした。なぜか——実際にあった一件で、私がふだん何をしているのかをお見せします。
英語の、こんな問題だったとします。
「Ken and I ___ basketball fans.」——空欄に入る be動詞は、am か are か。
その子は、少し考えて「am かな」と言いました。正解は are です。主語は「Ken と私」の二人だから、複数。だから are。
「二人だから are だよ」。
実際、多くの場面ではそれで済みます。その子も「あ、そっか」と直すでしょう。丸はつきます。授業は次に進めます。——でも私は、そこで止まりませんでした。気になったのは、その子が「なぜ am と言いかけたのか」のほうだったからです。
正解か不正解かだけを見ていると、ここは「単なるケアレスミス、are と教えて終わり」に見えます。でも私が見ているのは、答えではなく答えに至る道のりです。この子は、どういう道を通って am に辿り着きかけたのか。
対話しながら探っていくと、見えてきました。この子は主語の「Ken and I」を、ひとかたまりとして捉える前に、be動詞のすぐ手前にある「I」に、目で反応していたんです。I が見えた → I なら am → am。文全体の構造を読む前に、直前の単語に引っ張られる。そういう思考の癖でした。
ここが分かれ目です。もし「are だよ」とだけ直していたら、次に「You and Ken ___」が来たとき、その子はまた直前の単語に反応します。直したのは”今日の答え”であって、”間違え方”はそのまま残る。だから、丁寧に are を教えるほど、同じミスが手を変え品を変え出続けることになります。
やるべきことは、are を教えることではありませんでした。「主語を、動詞を決める前に、一度ひとつの代名詞に置き換える」という思考のワンクッションを、癖として挟ませること。これが本当の修正点です。
図にすると、こういうことです。
この一手間さえ入れば、主語が「Ken and I」でも「You and Ken」でも「その犬と私」でも、同じやり方で崩れなくなります。個別の答えを覚えるのではなく、崩れる場所の手前に、一つ手すりをつける。私がやりたいのは、いつもこれです。
実際の授業では、この場で一緒に手を動かして、人称の優先順位を整理しました。1人称の「私」が混ざれば We、2人称の「あなた」が混ざれば You、どちらも入らなければ They。その子は、これを自分の言葉で説明できるところまで辿り着きました。
以前の記事で、「伸び悩む子に足りないのは、説明の量ではない」と書きました。この一件が、まさにそれです。もしこの子に、be動詞の使い分けをもう一度、もっと丁寧に解説していたら、どうなっていたか。たぶん、あまり変わりませんでした。だって、崩れていたのは be動詞の知識ではなく、その手前の「主語の読み方」だったからです。
崩れた場所を特定して、そこから組み直す。今日お見せしたのは、その特定と修正が、実際の90分のなかでどう起きているか、という一例でした。派手なことは何もしていません。ただ、答えではなく間違え方を見て、一歩手前に手すりをつけた。それだけです。
——それだけなのですが、これができるかどうかで、その子が来月も同じところでつまずくか、それとも自分で越えていけるかが、けっこう変わります。
お子さんが「どこで崩れているのか」が見えずに困っているなら、
そこを一緒に見つけるところから、始められます。
Learning PM / 竹内 勇人
診療放射線技師 × PMP × 個別指導歴10年・100名超。「教える人」ではなく、目標まで自走できるよう学びのプロセスを設計・管理します。
